女神イシスのメッセージ 10月11日瞑想会 「純粋さとはなにか」
私はイシスと申します
このチャネラーを通じて
みなさんにお伝えしたいメッセージをお話させていただきます
天国には清らからな赤子のような心でなければ
入ることができないと
みなさんは聞いたことがあるかと思います
その言葉のとおり、天国には子どものような純真無垢な
素直なあなたでなければ入室を許可されません
また別の言葉でいえば神や天界の存在には
純粋な子どものようなあなたでなければ
繋がることができないのです
純真無垢なあなたとはどのようなあなたでしょうか
清らかな心を持って生きるとはどのようなことでしょうか
優しく、慈悲慈愛にあふれた
常に思いやりを持って人に愛を行動で示す生き方とは
どのような生き方でしょうか
みなさんは純粋であり
神聖な存在であり
特別な存在です
エゴがあったとしても
ときにそのエゴが打ち勝ったとしても
怒りや憎しみやネガティブな考えや表現をしたとしても
あなた方の本質は純粋な神の子そのものです
その純粋な神であるあなたは
どのようなことにも汚されることなく
そしてその純粋な神の子であるあなたを生きるときに
天界からも宇宙からも祝福されるのです
そして神から愛され繋がることができ
神のご加護の下でその純粋な自分を生きることができ
純粋な自分を生きるからこそ
あなたの持てるとてつもない力を発揮して
生きていくことができるのです
また、あなたのその純粋な力を発揮していくことによってまた
天や宇宙に繋がることもできます
あなた方はそのような生き方をしているでしょうか
あなた方が落ち込んだとき、腹を立てたとき
ネガティブになったとき、不安や恐れに陥ったときに
あなたは純粋ではなくなってるのでしょうか
素直に感じる怒り、いら立ち
それを感じているあなたは純粋ではないのでしょうか
何が純粋なあなたなのでしょうか
日々感じる怒りや納得がいかないということ
不平不満、ネガティブな発想
それをそれが自分の正直な感覚だからといって
不平不満を言ったり、ネガティブな発言で人を傷つけたり
人に対して不快なことをしたり
でもそれは自分に正直だから純粋であると言えるでしょうか
自分の中の不安や恐れ、不平不満、怒り
それらを否定する必要はありません
まさにそれが
ネガティブであれ、怒りであれ、不安であれ、恐れであれ
それを感じているあなたはもちろん純粋であり
それを感じていることはいけないことではありません
逆にそれがネガティブで悪い、よくない感情だと捉え
そう感じている自分を否定したり
その感じた怒りや恐れやネガティブなものを否定する
これはいけないと否定することのほうがよくありません
あなたが感じた怒りや不満、ストレス
ネガティブな感覚というものは
否定したところでなくなることはありません
逆にそれを素直に認めて
自分はこう感じたのだな
自分はこれが納得いかないんだな
私はこんなに恐れているんだな
私はこのことに対し嫉妬をしてるんだな
というように自分が感じた感覚や感情、思いというものは
否定せずに素直に認めることがとても大事です
そうでないと、否定すると
それはなくなることはなく蓋されただけでそこにあり続けて
それが大きなエネルギーとなってあなたを苦しめて
逆に力を持ってきてしまうからです
不安や恐れ、腹立たしい、納得いかない、嫌い
そのように一見ネガティブでよくないと
みなされるような感情や感覚
人生で1度も感じたことがないという方はいないでしょう
誰もがそのようなさまざまな感情や感覚を味わうように
人生体験をしているのです
純粋であるということはどういうことでしょうか
まずみなさん方にお伝えしたいのは
自分の中の感情や感覚を
あるがままに、素直に認める、受け止めるということです
それがポジティブなものであっても
ネガティブなものであってもです
日々の人生でさまざまな体験をします
さまざまな個性の人間の人たちとつき合う中で
喜びを感じることもあれば
嫌なことを感じることもあるでしょう
そのすべての体験が素晴らしいのです
それこそが人生なのです
喜んで、満たされて、感動して、元気が出て、やる気が出て
そしてときには
落ち込んで、悔しい思いをして、悲しい思いをして、辛い思いをして
そのすべてが生きているということなのです
自分の感覚、感情
それがどのようなものであれ
それをあるがままに受け止めていただきたいのです
それがある意味1つのあなたの純粋さでもあります
感じたいように感じる
感じた感情を受け止める
あなたの中でどのような反応があっても
どのような感覚、感情を体験しても
どのような思いが浮かび上がってきても
それをあるがまま受け止めるということです
しかしもちろんそれはあなたを知るためにも
そのような感覚を体験してるということが言えます
例えば、恐れ、不安
本来の神聖なあなたは恐れも不安も持っていません
持つ必要がないのです
しかしそれは人間としてこの地上に降り立ったことによって
そのような体験をすることになりました
怒り、腹が立つという感覚も
それは自分が望む、もしくは自分がこうあるべき
と思っているところから外れたことからやってきます
つまりあなたは期待をしているわけです
自分が望む方向にものごとが動かない
期待したとおりにならないことで怒りが生まれます
すると、あなたはどういうことを期待してるのか
どういうことを望んでるかということが
あなたの怒りの感情を通して理解できます
あらゆる感情も、あらゆる感覚も
ある意味あなたを知るために役に立ちます
なぜ私はこのことに憤りを感じるのか
なぜ私はこのことが嫌なのか
なぜ私は不安を感じるのか
そしてそれらの感情や感覚というものは
本来の神聖な存在であるあなたの本質に戻るために
それを助けてくれるものでもあるのです
純粋なあなたとは
神であるあなたであり
神であるあなたは光そのものであり
そこに不安や恐れはありません
地球を体験するために肉体を受け取り
感情というものを体験するようになりました
そしてそれによって
神であるあなたの本質が体験することがなかったものを
体験するようになりました
そして怒ったり、不安を感じたり、喜んだり
さまざまな感覚や感情を体験するという状況になりました
それは神聖なるあなたの本質
純粋なあなたの本当の姿に対しては
あとから加わったものです
となると感情や感覚は
あなたの純粋さではないのかもしれません
しかし肉体を受け取って
感情や感覚を体験することができるようになったあなたも
また純粋なあなたであり
そこに感じる感情や感覚も純粋なあなたです
純粋さとは何でしょうか
神聖なあなたの本質を生きるとはどういうことでしょうか
あなたのその神聖なる本質に
あなたは正直に忠実に生きているでしょうか
私はその純粋性をみなさん方に問いかけます
多くの方々が自分の純粋さあるがままを生きよう
正直に生きようそのような気づきを得て目覚めてきています
とても嬉しいことです
多くの方々が自分ではない自分に従って生きてるからです
こう生きるべきという自分
こう生きることが正しいと教わった自分
いい人を演じたり
周りの人が望むような自分ではないキャラを演じたり
結果的に息苦しくなってしまう
自分じゃない自分を生きて
しかもそのように生きてることすら気づかずに
多くの方が自分の真実を見失って生きています
本当の自分を取り戻そう
本来の自分を生きようと目覚めた方たちが
自分だと思い込んでいた自分から自由になり
こう生きるべきと信じてきた
もしくは教わったことを生きることをやめて
自分らしさを生きようと目覚めてきています
私はそれをずっと待っていましたので
多くの方々がそのように目覚め、立ち上がり
自分らしさを生きようと成長しているのは
とても嬉しく思っています
ただその中で自分が感じること、沸き上がる感情、思ったこと
そのすべてに対して正直であろうとする動きが見受けられており
それは神聖なる本質の自分に正直に生きるということとは
ずれてしまうことがあるのです
自分らしく生きる、自分ではなかった自分を生きることをやめる
そこの気づきはまさに私が長年待っていた嬉しい目覚めなのですが
自分に正直に生きるだから腹立つときはやらない
嫌いなものは嫌いと言う、思ったことをずけずけ言う
その正直さと純粋さということが
聖なるあなたの本質に沿ったものと
少々ずれていることが起きてしまっているのです
純粋性、そして自分らしさを生きるとは
聖なるあなたの本質を生きるということです
思ったこと、感じたこと
それは神であるあなたの本質の中にはなかったものなのです
肉体に降り立ち物理世界を生きるときに
感情や感覚というものが生まれました
それは人間的なものからやってくるものなのです
先ほどもお話しましたとおり
自分の感情、感覚、それはすべて否定せずに
受け止め認めることがとても大事です
あるがままの自分の感情、感覚を
許し、愛し、受け止めること
とても大事です
あなたがあなたに正直であること
とても大事です
あなたを知るために
あなたがどう感じるか、どう感覚が起きてるかという
あなたの感情、感覚が
あなたが何者であるかを教えてくれる手段にさえなります
あなたのすべての感情、感覚を
否定せずに受け入れること
それは大事です
しかしそれらは神である自分の本質からきたものではなく
肉体を受け取ったことによって生まれてきているものです
どれだけ認めること、受け止めることが大事な
自分の中に起きた反応であったとしても
それは神の本質からきたものではないものも多く
神の本質とはほど遠い
人間的な自分から生まれてきているものが多いのです
もちろん誰もがそのような意識がなかったとしても
誰もが神に戻ろうとこの人生を生きています
神へと帰還するこの人生という旅路において
自分の中に起きてくる感情や感覚というものを見て自分を知り
そしてその感情や、特に感情を超越していったときに
あらゆる感情を乗り越えて
あらゆる感情に影響されない神の自分へと戻っていくのです
ですから感情も感覚も素晴らしいものです
しかしそれがありのままの自分だから正直に生きるといって
感情そのままに人を傷つけるようなことを言ったり
ネガティブなことを人に言って傷つけたり
それは、そのような正直さはそれを否定して
傷ついているのに笑顔でいるとか
腹が立っているのにそれを押しとどめるとか
そういった蓋をしてしまうようなことよりは
まったくましな状態なのですが
しかし神である自分に正直に生きるということとは
実はほど遠いのです
何でもかんでも正直に表現する
それは純粋なあなたの表現に見えて
ときにそれがわがままになってしまうことさえあるのです
人間関係においても、本当に思ってることを言わずに
それを押し殺してそうではない対応をされるよりは
ありのまま正直に表現してくれたほうが
お互いをさらけ出していい関係が築けます
仮面をかぶっていて
感情や感覚を隠していれば
それは必ず相手に伝わります
相手もこの人はオープンではないなということを
意識的か無意識的かに感じて
その相手の方も同じようにあなたに心を開くことはないでしょう
ですから正直に感じたこと、考えたこと
それは素直に表現することは大事です
しかしその純粋性と
神である本質のあなたに忠実に正直に生きる純粋性とは違います
改めて考えてみてください
純粋さとは何なのか
純粋に生きるとは何なのか
あるがままの自分を生きるとは何なのか
嫌なことは嫌だからやらない
それは純粋でしょうか
神である純粋な自分を生きるとは
成長し続けていくことです
前進し続けていくことです
自らの素晴らしさを生かし
人や世の中に貢献していくことです
あなたの神としての美しさや素晴らしさを、才能を
自ら愛し、大切にし、自分という存在を楽しみ
貴重な人生の一瞬一瞬に感謝して喜びを生きることであり
それを通してまた人生で出会う方々に
それを分かち合うことです
それはときに辛いこともあるでしょう
苦しいこともあるでしょう
成長していくということは
痛みを伴うことも多いのです
悲しい別れ、辛い体験も
またあなたを成長するとても貴重な人生体験です
嫌だからやらない、苦しいからやらない
それは神の本質を生きることとは
まったく違う道になります
純粋に生きるとは
自分の純粋さを生きるとはどういう意味でしょうか
どうか改めて考えてみてください
そしてあなた方は純粋であり
これまでも純粋であったし
これからも純粋であり続けます
あなた方は
元から、元々から純粋であり
あなた方の純粋性が汚されることはありません
それは不可能だからです
あなた方は神そのものであり
純粋な光だからです
それ以外の何ものでもありません
純粋な神であるあなたとは
どういう意味でしょうか
そのような表現をこれまでも何度も聞いてきたことでしょう
しかし、純粋さとか純粋に生きる
そのような表現が、みなさん方すべての方々が
概念、価値観、主観、それぞれ異なるため
その方なりに受け止め解釈をされます
純粋に生きる、神である自分を生きる、あるがままを生きる
それを自分の持つ主観、概念、価値観というものを
改めて見直しもっともっと深い意味で
改めて考えていただきたいのです
誰もが思ったものを口にして
すべての人がわがままに生きることが
地上の天国ではありません
生きていくには謙虚さも必要であり
自分を律することも必要であり
宇宙からやってくる人生の課題を
辛い、苦しい思いを味わいながらも
乗り越えていく強さが必要なのです
純粋なあなたとはどのようなあなたですか
純粋に生きるとはどのように生きることですか
あなたの純粋さについて
どうか今までよりももっと深いレベルで
頭でなくあなたの心で、魂で
よく触れてみてください
あなた方が今までよりもより深いレベルで
自分自身の純粋さに触れたとき
そしてその純粋さを生きるときに
あなたの世界もこの地球上の社会も変わっていくでしょう